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生活のレシピ・まちストリート 『清澄(東京・江東)』 夏草や 芭蕉の跡を 一歩ずつ
(日本経済新聞 平成20年7月29日) ※アートファクトリー玄が製作設置した江東区芭蕉記念館分館の「松尾芭蕉」像が紹介された記事です。 |
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松尾芭蕉が「おくのほそ道」の旅に出たのは元禄二年(1689年)、門人・杉山杉風の別荘からだった。この別荘があった江東区常盤や清澄周辺には芭蕉ゆかりの神社や記念館が点在している
江東区芭蕉記念館は地味な三階建ての建物だが、小さな庭園に約三十種類の草木が夏の香りを漂わせていた。俳句愛好家の創作意欲をかき立てるよう、どの季節でも季語になる花が見つけられる。梅雨時に咲き誇ったアジサイの前には、芭蕉の句が飾られていた。 「紫陽花や 藪を小庭の別屋敷」 同館次長の横浜文孝さん(52)の案内で近くの展望庭園に向かった。高台に1.2メートルの青緑色の芭蕉像が正座している。「芭蕉も隅田川の土手から江戸市中や富士山を眺め、俳句を詠んだのでしょう」と横浜さん。像は午後5時になると隅田川に向かうように回転する。夜間にライトアップされ、川を渡る水上バスから眺められるようにする工夫だ。一句思いついたら、展望庭園入り口の投句箱に入れよう。 階段を下りて少し歩くと、住宅や町工場の中に、小さな赤い鳥居が見えてくる。芭蕉稲荷神社だ。ここは「古池や 蛙飛び込む 水の音」の句が生まれた場所で、カエルの石像が大正時代に出土した。のぼり旗を飾り、句碑を建て、地元の人は手入れを欠かさない。すぐ隣に住む山崎渡世平さん(77)は「全国の俳句好きがしょっちゅう訪ねてくるよ」と話す。 相撲部屋が並ぶ路地を過ぎると臨川寺がある。芭蕉が禅を学んだといわれるお寺で「道半ばだった頃、禅を通じて俳諧を高めていった」(横浜さん)。芭蕉像は晩年の姿が多いが、本堂の約70センチの木造は、若々しい表情だ。三十歳後半のころの姿を彫ったものという。住職の藤田宗光さん(62)は「りりしい芭蕉ですよ」とほほ笑む。 |
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